ニュピのバリ 14
- 2018.06.22 Friday
- 22:36
宿に戻ってきてから朝食をとっているとアディさんから連絡が入る。
今日の午後にグンデルワヤンを演奏するので来ませんか、というお誘いだ。
お昼にチェックアウトした後は、夜の飛行機の時間までスパで長めのマッサージをしてもらって過ごそうかな、と思っていたくらいで予定らしき予定はなかった。
もちろんマッサージよりもそちらの方がずっとずっと魅力的。
クバヤを着て待っていてくださいね、と迎えに来てくださるという。
まだグヌンルバに参拝した時のクバヤを着たままだったので、このままでいることにする。
けれどクバヤを着て、ということはお寺の中なのかな?
宿のスタッフにメールの内容を見てもらうと、おそらくファミリーテンプルではないか、ということだ。
昼間のワヤンクリッはワヤンクリッとはちょっと違う。
夜はスクリーンを使うけれど、昼間はスクリーンが無いんだよ。
スクリーンのないワヤンクリッはオダランの中の儀式の一つなんだ。
きっとファミリーテンプルのオダランだと思うよ。
部屋に戻って荷造りをしていると、今度はプトラさんの奥さんから連絡が入る。
今年のバリカレンダーを下さるというのだ。持っていなかったし、またお会いできる事もとても嬉しい。
ただ荷造りをしている最中なのでお宅まで取りに伺えないことをつげると、なんと宿まで持ってきてくださった。
そしてアディさんの家寺のオダランに行くこと、それが1時に始まることなどを話す。
きっとね、2時間くらい遅れるよ、昨日のニリンもそうだったし、バリ時間だからね。
だからもし、色々と遅れてしまって困ることがあればまた知らせてね、遠慮しないでね、ととてもありがたい言葉。
予定ではアディさんに12時に迎えに来てもらって、1時からオダランが始まるから3時くらいに終わって宿に送ってもらい、その後は着替えがてらスパでマッサージを受けてそこでシャワーを浴びて、ローカルワルンでささっと食事をしてから空港に行く、というコースだった。
2時間も...遅れるかな?遅れたとしても2時間ならスパのマッサージを短くしてもらえばいいや。
12時に迎えに来てくれるというので奥さんと一緒にお昼を食べる時間もなかった。
またお会いできますように、とあいさつをしてお別れ。
初対面だったのに本当にお世話になったなぁ。
アディさんがバイクで迎えに来てくれたので、スーツケースをフロントに預けて、後ろに乗せてもらって出発する。
やがてアディさんのお住まいのプリアタンも通り抜けてゆく。
あら?もっと遠くなの?
はい、もう少し遠いです。
やがてついたのはオダランの場所ではなく、一緒にグンデルワヤンを演奏する相方さんのお家だった。
ここで合流して行くみたい。
ところが。
一向にここを出発しようとしない。二人ともバリ語で会話しているので単語の一つもわからない。
もう1時間もたってしまったよ。
途中連絡が入り、お坊さんがまだ来ないということだった。
プトラさんの奥さんの予言通り、2時間は遅れるのがデフォルトだったのか。
つか2時間で済むのだろうか?
そういうするうちに連絡が入って、バイクに乗せてもらってさらに少し離れたところまで行く。
家寺ということだけれども、親戚一同というのがハンパない人数だ。
通されて座っていると、小箱が差し出される。
蓋を開けてみると軽食が入っていた。
お昼ご飯を食べていなかったから、とてもうれしかった。
紅茶と、とうもろこし味のちまき、お米はココナッツミルクの味がつけてあって。
とても美味しい。
子どもたちは楽器をここぞとばかりに触って、叩きまくっている。
そうか、みんなやっぱり憧れているんだね。
珍客に興味津々。
始めは恥ずかしがっていたのに、どんどんアプローチしてくる。
そんなわけで記念撮影。
みんな正装しています。
やがてガムランの演奏が始まり、ご婦人方が踊りだす。
踊る人たちは黄色のサロンに黄色のスレンダン着用なのね。
皆さん、練習を積んだのだろうな。とてもきれいに揃っていました。
本日のカメラ係。素敵なカメラとレンズですねぇ。
やがてトペンも始まりました。
ガムラン演奏とバリ舞踊にトペン、そしてグンデルワヤンまで行うのが、オダランなのだそうだ。
家寺であっても、それはきちんと守られているのね。
楽しい一方で時間も気になるところ。
グンデルワヤンはいつ始まるの?
『もうすぐだよ』とアディさん。
そして、ワヤンが始まった。
一度日本で見たことがあった。
それは夜に行われた、影絵のものだった。
人形の一つ一つには緻密に装飾されているのに、影絵だなんてもったいないような贅沢なようなとその時は思ったけれども、こうやって昼間の儀式の中では人形をそのまま見せるのだ。
声色を変えていろいろな役になりきる。
両手は人形を遣い、つま先では効果音も出している。
そしてその後ろでグンデルワヤンを演奏するアディさんとご友人。
果たして、物語の内容は面白いのかどうなのか。
見ていた子どもたちも一人減り、二人減り...
けれども行うことが儀式なので、観客が居てもいなくても、それはいいらしい。
なかなか素晴らしいパフォーマンスなのだけれどなぁ。
子どもたちは長くは座っていられないのは、どこの国でも同じよね。
オダランはまだまだ続くようでしたが、アディさんは自分の出番が終わると再び私をバイクの後ろに乗せて、ウブドの宿まで。
途中、バロン渋滞に巻き込まれる。
あぁ、そうね。
あちらこちらのバンジャールのバロンがグヌンルバに向かう時間帯ってことね。
近道をすり抜けて、なんとか宿に到着。
アディさんがウブド大通りを曲がる頃にバロンのニリンがやってきた。
あぁ、こうして最後の最後まで、バロンに見送ってもらえたわけね。
そこに空港までのトランスポートを頼んでいるガイドさんからの連絡が入る。
なんと、オダランに出掛けているので代理の人をよこすという。
あぁ、そういうことか。
1日ガイドを頼んだ時に、ガイドをしている最中にスマホを触っていることが目についたこと、それは以前の彼では考えられなかったことだった。
その他にも、慣れのようなものが目立ってきていていて、ちょっとどうかな、って感じていたのだった。
そこでもう帰りのトランスポートは断った。きっともう頼むこともないだろうな。
そしてプトラさんの奥さんに連絡をしてみた。
確かプトラさんの従弟にあたる人がトランスポートをしていると聞いていたのだ。
さっそく連絡を取ってくれて、もう一つ仕事があるのでその人を送るのと一緒だったら受けますよ、とのことでそれくらいOKなので頼むことにた。
バロン渋滞が決定的になり、私はスパどころかローカルワルンの晩御飯も食べる時間はもうなかった。
宿の化粧室で汗だくのクバヤからどうにか着替えて。
シャワーを浴びる時間も場所もなかったけれども、それよりも飛行機の時間の方がもっと大事つか緊急。
プトラさんの奥さんも宿まで再びバイクで来てくれて、私の支度を手伝ってくれた。
準備完了となったところに、従弟の人がやってきた。日本語は話さないけれどもわかりやすい英語を話してくれる方だった。
先客の人は西洋のリタイヤした男の人で、自分のヴィラに帰るところだった。
そしてこの人が大学の美術の先生で、世界中のあちらこちらの著名な大学で教鞭をふるっていたのだ。
日本の大学でも室町時代の美術を教えていたらしい。
アメリカ人が室町時代...
先生をしているだけあり、話の内容もユーモアがあって面白かった。
が、さて、先生を送ってからの空港までの時間がしゃれにならないくらいのギリギリっぷり。
でも、絶対大丈夫って気持ちがずっとおなかの中にあって。
汗だくで帰国することなんてどうってことはない。
なんならクバヤのままで飛行機だって乗っただろう。
最終日のギリギリまで、充実した旅だったのだから。
あぁ、おなかがすいた〜って言いながら、運転手さんと次々、あれが食べたいこれがおいしいって食べ物の名前をあげながら、バリご飯への思いをさらに募らせてしまったので、こりゃまたリベンジはしなくてはね。